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高尾山の改修工事から思う過保護 



3月末に高尾山に登る登山道の1つ「稲荷山コース」の登山道改修工事が終りました。

稲荷山コースは高尾山の中でも一番自然を感じることができるTHE登山道というべき道。先日行ってきました。

稲荷山コースの工事は今回が2回目。初回はちょうど1年前。山頂付近の細い登山道の改修。その部分は晴れていても木が生い茂っているため太陽が当たりづらい。雨が降ると数日はぐちゃぐちゃドロドロ。


足を濡らしたくない登山者が植生地を踏んでしまい、植物が潰れることや道自体が広がってしまう事は問題。その解消のための工事としては良かったのではないかと思います。


しかし木段の段差が細かすぎる。(この点に関しては今回の工事にも当てはまる)

また登山道が全て覆われてしまっているため、土の道を歩く楽しみは失われてしまいました。


今回の改修工事では、段差の大きい岩場や滑落事故があった部分の補修工事がメインだったようです。改修工事、そのものに関しては高尾山マガジンのブログに詳細が載っているのでそちらをご覧ください。


ここから本題。木段設置による過保護について書きたいと思います。

 

写真のように少しの段差であっても木段が設置されている。さて、これは本当に必要なのか。


明らかに手を使わないと登れないような大きな段差であれば、その段差が半分になるように木段を設置するのはアリだと思います。しかし、通常山登りに来る方はそれなりの準備をしてくるはずです。いや、してこないといけない。なぜなら山は安全が確保されている街ではなく、自然の中だから。基本的に何があっても自己責任です。たとえそれが体力不足であっても。


木段設置の理由が木の根っこの保護や土が削れて登山道が広がってしまうことなど自然保護の観点からのものであればまだ理解できます。これは最初に書いた前回の工事に対しても同じ意見。


しかし、誰でもかれでも楽に登れるようにするための木段設置であったならそれはどうなの?と疑問。


高尾山は世界一登山者数の多い山。誰でも登ることができるオープンな山でもある。だからといって誰にでも楽に登れるようにすること、これを優しさと呼ぶのはちょっと違う。これは甘さ。タイトルにある過保護です。


新宿駅から電車で1本で来れる気軽な山ではありますが、一歩踏み入れればそこは自然。何が起きても不思議ではありません。


登り始めて5分で足首をひねっても自己責任。野生動物に遭遇し怪我を負っても自己責任。そういう場所です。

登山道を上る体力がない、足腰が弱い。それならば一号路(全て舗装路)やケーブルカーなどがあるのでそちらを使うと良い。

もちろん、自分への挑戦として稲荷山コースを登ろうとする事は否定しません。適度な挑戦は人生を豊かにします。


しかしそれであればどんな段差であっても、自然の山をよじ登るべきでしょう。そもそも挑戦目的であれば木段のある道よりむしろ自然な状態の山を登りたい方が多いと推測しています。


あえて急な斜面や不安定な岩場を残しておくことが強くなりたい人と自然に対しての優しさ。誰でも登れるようにすることは甘さであり過保護。ノリと勢いで準備もせず登ろうとする人を登らせようとすることは優しさではありません。そういった人に身を持って山の厳しさを体感させることが本当の優しさです。


楽に登れるようになることで、登山の準備をしないまま稲荷山コースを登る人が増えて事故の絶対数は変わらない、もしくは増えると予測します。今回の工事が事故を減らすための工事であったなら意味がなくなる可能性があります。


過保護にすることが優しさではありません。あえて歩きづらい道を残すことでその人の体力の向上(体力がないことを思い知らすこと)や危機管理能力を高めること、すなわち「人」そのものを強くする余白を残しておくが優しさだと思います。これは日常生活においても同じ。

適度なリスクを背負う事、それに対して集中すること。それが健康においても成長においても大切です。


そんなことを思いながら高尾山山頂まで行きました。良い景色を見たいならそれ相応の努力が必要です。


ちなみに当院の行うアウトドアガイド(高尾オーダーメイドツアー)も少しきつい、けど楽しいプランをご提案しています。



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